2017年6月25日日曜日

[6024] 睡蓮

やっと池の睡蓮ピンクワンダーが咲いた。
これ眺めながら美味しいコーヒーが飲める。
しかし今年は咲くのが遅い。
早く植え替えをやったのがいけなかったのか? 

2017年6月24日土曜日

[6023] 新体操

ここ村山市は2020年東京五輪に向け、ブルガリアの女子新体操チームのホストタウンになっている。今回は二週間ほどのキャンプで、僕がよく行く碁点温泉に宿泊していて、その隣の体育館で練習している。練習を見に行く。素晴らしい肉体美じゃ。
 ところでブルガリア人はYESは横に首を振り、NOは縦に頷くらしい。
「今晩、どう?」って誘ったら、たぶん頷くのです。
 世界は面白い!

2017年6月23日金曜日

[6022] 太陽の子

明日、最上徳内記念館へ、新作追加します。
『太陽の子 Sun’s son サンサン 太陽燦々』

2017年6月22日木曜日

[6021] 新しいこと

右手が使えないので、左手で日常をこなしている。
 掃除機で掃除していて、この掃除機はずいぶん重いこと、動かすのに難儀なことなどを体験し、ふと新しいこととはこのように大変なことなんだなぁと思った。左手のやっていることは右手のおさらいなんだけど、まるで違う。反対というか、鏡の中の世界というか、逆というか、チグハグというか。
 そこでこれを作品に照ら合わせ考えてみた。
 新しいことに挑戦するということは、とても難儀なことだ。新しいことの質が古いことの質と並ぶには程遠い。並んだとしても同じなんだから面白くはないだろう。でも完成したら右も左もだ。ということは今までの倍、逆や鏡だとしたら表裏や前後も含む、それに右も左もなんだからどっちも主役で主従関係がなくなる。つまり新しいことをやるということはただAからBに移行するのではなく、AもBもそれ以上の様々な可能性を含んだ広がりを持ち、自分の意識がドデカくなるということ。Aなんか朝飯前になるんだろう。面白くないわけがない。フフフ‥夏の個展が楽しみだ。

2017年6月21日水曜日

[6020] 感じる

痛いから生きている。
生きているから痛みが引いてきた。
治ったら痛くない。
死んでも痛くない。
死んだら痛みを感じない。
止まってしまうことだ。
僕はSTOPで死を表現しようとしたのだろうか?
STOPを感じたのだろう。
生きているとは感じていることだなぁと感じた。

2017年6月20日火曜日

[6019] 痛み

右の掌の小指の付け根の下が小豆ぐらいにぷっくり腫れて押すと痛みを感じる。
「これは『おなご』ですね」とドクターは言う。
「それ、なんですか?」
「森さんは、オナニーをしますか?」
「はい、頻繁に」
「オナニーダコで通称『おなご』と医学会では言われてます」
「ほー」
 手術は麻酔を周りに数カ所、奥まで一カ所やったかな。皮膚の表面直径1ミリぐらい深さ5ミリほどを検査のために多分専用の器具で抉り取るというもの。手術は歯の治療ぐらいだろうと思っていた。ところが掌に針はめちゃ痛い! 麻酔が効いているので、その後はスムーズ。縫って包帯でおしまい。帰ってから粘土はできないけど、筆ぐらい持てるから絵でも描こうと思った。ところが麻酔が切れてからが大変。痛いの、なんの。今日もなんもできない。全ての行為が右手の補助なし左手オンリー。トイレも歯磨きも着替えも箸持つのも鼻かむのも困難。右手大事ですね。この痛さ、えぐれ傷と腱鞘炎と時々グサッという痛みが混じったような。なんとかならんかと腕のいろんなとこを押す。小指の脇と手首と肘の近くに押すと痛みがやや和らぐところを発見。まぁ気休め程度だけどね。あ~しんど。
(絵は臨場感あふれる左手描き)

2017年6月19日月曜日

[6018]  手術

今日は掌にできたできものの検査手術。
あー、いてぇ
『痛み消えて飛んでけ再々恵の雨降れ正常戻れ』