2014年4月25日金曜日

[4467] 幸福感

午前は庭のハルジオンを適当に取る。
 春の朝ってのは、時空の境をなくし、精神を異国や子供の頃の空気感に誘い、幸福感を味わわせてくれる。
 他所の建てたばっかりの家などを見ると、家も庭もほぼ完全に雑誌にあるようなものになっている。あれはツマラナイ。家も庭も生きている感じがしない。こういうのを求める心を『快楽』っていうんだと思う。なぜならその家や庭の絵が崩れることに『苦痛』を感じるからだ。『快楽』と『苦痛』はコインの表裏だからね。
 自然というのは人間が作った止めておきたい風景をどんどん朽ちらせる。うちの庭を見ても芝生は沈下し、手すりの鉄は錆び、壁は色が褪せている。虫がコンクリートの隙間から家の中にまで入ってくる。朽ちるのが苦痛だから人間は自然から分離しようと自然と闘う。ところが自然と人間は分離などできない。人間は自然という池の中の金魚みたいなものだからだ。外も身体の内部も隅々まで自然に満ち満ちている。
 『快楽』というものは『幸福感』とはほど遠いものだと思った。

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