2017年1月29日日曜日

[5877] 大衆の為

●大衆の為
 今まで自分が二十年以上も制作してきた猫作品はポップアートとか大衆芸術の範疇だと思う。これらは作る自分が大衆が求めるものを意識して作っているため「大衆による」作品と言える。注意しなければいけないのが「大衆の為」ではないということだ。
 今年の夏の個展が決まって、自分の中から沸々と湧き出て作品化している自分自身の追求や探求としての自由な作品がある。これらは個人的だから大衆とは無関係かと言うとそうではない。大々的に発表する目的がある限り大衆を切り離して成り立つ作品など無い。これらは「大衆の為」に作られていると思う。「大衆による」と「大衆の為」のどちらが良いかという問題ではなく、己の作品の成長の過程として、今、自分の精神がこのような位置にいるということだ。
 例えば僕が住んでいる市で開催している建築コンペの審査員を頼まれて去年やった。しかし次回は辞めることにした。僕自身、誰かに審査されるなんてイヤなタイプなのに、他人を審査するなんて、自分に反している。僕が審査員をすることで市の為になると思っていたが、多少会場を面白くすることはできても、それ以上何もない。それはそうだろう、自分の心にウソついてやったことなど誰の為にもなるわけがない。好きでもない乾いた女性と市の為だから結婚して子をたくさん産んで市の人口を増やしてくれと言われても、精液の代わりにため息しか出ない。そんなことが増えれば街中にため息が病原菌のように蔓延して街は反って疲弊するだろう。それよりも僕が自分で納得するようないい絵を描いた方が、よほど市の為だし大衆の為だし世の為だ。
 僕は今、大衆による頂上ではなく、大衆の為に底辺を描いている。

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